アウシュヴィッツの囚人写真家

「アウシュヴィッツの囚人写真家」
ルーカ クリッパ,マウリツィオ オンニス/訳・関口英子


アウシュヴィッツの囚人写真家
ルーカ クリッパ
河出書房新社
2016-02-19



アウシュビッツ強制収容所で4年半、5万人もの被収容者の肖像写真を撮らされたポーランド人写真家ブラッセの物語。
二人のイタリア人ライターによるノンフィクションノベル。
ブラッセの生前に行われたロングインタビューや資料を基に物語として再現した。


ブラッセはポーランド南部ジヴィエツで生まれた。
ドイツ軍のポーランド侵攻後、ドイツ国防軍への入隊を拒んで逮捕。
1940年開設されたばかりのアウシュビッツ強制収容所に移送される。この時22歳。
その後1945年一月にソ連軍によって解放されるまでの4年5ヶ月の記録。

入所して一年後、写真家としての腕とドイツ語に堪能だったことを買われ、名簿記載班に任命される。
アウシュビッツでは、被収容者を管理する為写真を撮影しファイリングしていた。
ブラッセはいつ自分が死ぬのか、死の恐怖と闘いながら、来る日も来る日もやがて死んで行く人々の写真を撮り続けた。

時には収容所内の撮影に駆り出されたり、”撮影室”以外の仕事も命じられるようになる。
SSの上官に信頼されたブラッセはやがてナチスの悪事に協力させられて行く――

第1部 アウシュビッツ 1941年――生き延びるために閉じこもる
第2部 アウシュビッツ 1942年~1943年 SSに仕える
第3部 アウシュビッツ 1944年~1945年 抵抗運動と写真の運命

の3部から成る。


地獄のようなアウシュビッツから生き残った人というのはどういう人なのか?
どうして彼らは生き残れたのだろうか?
という疑問が常々あった。

――ユダヤ人は2週間、聖職者は3週間、その他の者は3ヶ月

アウシュビッツの副所長カール・フリッチュは、ハイスピードで容赦なく被収容者を葬る目途を語った。

被収容者の一人、オーストリア人のルドルフ・フリーメルは共産主義者ながら、エンジニアとしてのキャリアと知識が買われて別格の待遇だった。
なんと収容所内で結婚式を挙げ、パーティも許可された。
この日だけ、収容所の外から妻と子、両親も許可されアウシュビッツにやって来たというエピソードにはびっくりした。
この時ブラッセが撮影したフリーメルの結婚写真が残されている。
なんて素敵な写真だろう。

アウシュビッツでは常に”選別”がなされた。
まっさきに選別されるのは、ユダヤ人で、健康じゃない者。
フリーメルのように有用な知識や技術を持った人(ブラッセもしかり)は重用された。
そして、何より大切なのが「運」だった。

第1部は、生き延びるために撮影に没頭する時。

表紙カバーの少女のエピソードが出て来る。
チェスワヴァ・クフォカ ポーランド人 14歳
かわいらしいチェスワヴァは、撮影を待っている間に横暴なカポ(囚人の監視員)に変なところをさわられ嫌がった為に殴られたのだ。
それでよく見ると、唇にケガをしている。
撮影時のエピソードを読んでから写真を見直すと、まるでその場に立ち会っているような気になる。
チェスワヴァの健気な表情がせつなくて胸が詰まる。
撮影からまもなく彼女は亡くなった。

第2部は、ブラッセにとっても読者にとってもつらい章だった。
ブラッセは上層部に気に入られ、ナチスの医者たちの人体実験の撮影を頼まれる。
”死の天使”の異名を持つ医師ヨーゼフ・メンゲレは双子に異常に執着した。
ある医者は両目の虹彩の色が違う女性ばかり研究した。(は?何の為に?)

何をやってもいいとなると、人はこうも残酷になれるものなのか?
図らずも、カメラのおかげでブラッセは収容所内のあらゆることの”目撃者”となった。

被収容者だけでなく、SSの将校たちを撮ることもある。
撮影に来たメンゲレは、快活でかんじのいい青年だったというから人はわからない・・・。

第3部、やがてブラッセは、己に与えられた使命を実感する。

――こんなことが二度と起こってはならない。
一人では背負いきれないほどの責任がのしかかって来るのを感じた。
自分のすべきことと、その理由がようやく見えて来たのだ。
そのせいで命を落とすことになるかも知れない。
それでも尚、心ある人たちがいつか自分の撮った写真を見て真実を知り、判断し、嘆き、記憶に刻めるようにすべきなのだ。
写真家というものはきっと、そのために存在するのではないだろうか。


全ての写真を命に代えても守り抜き、ここで起きたことを世界に知ってもらうこと、多くの人がたしかにここに存在していたことを伝えたい。

この本の巻頭にブラッセが撮影した多くの写真が載せられている。
これらの写真がなぜ焼却されず残っていたのか?
この答えは最後にあった。

ブラッセの写真は、アウシュビッツ博物館及びエルサレム・ホロコースト博物館に展示されている。
また、ニュールンベルク裁判でも証拠として提出された。

巻末にブラッセのその後が記されている。
自由の身となり故郷に戻ったブラッセは、スタジオで顧客の写真を撮ろうとすると、その脇にナチスの犠牲者の亡霊がぼーっと立っているのが見える。
自分はもう写真を撮ることは出来ないと、二度とカメラを手にすることはなかった。

訳者あとがきによると、
ヴィルヘルム・ブラッセの名は欧米ではよく知られているが、日本ではほとんど知られていないという。
彼が撮影した写真は見たことがあるかも知れないが、誰が撮ったかは知らなかった。
この本を読むことが出来てよかったでした。
 
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