山猫 その1

「山猫」
(1963/ITALY+FRANCE/IL GATTOPARDO/THE LEOPARD)


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イタリア統一戦争の時代に、没落する貴族と新しい時代へ向かう若者をを描いた一大叙事詩。監督・脚本はイタリアが誇るルキーノ・ヴィスコンティ。

先日、<ハングオーバー2> を見る為、久しぶりにTOHOシネマズ六本木のネット予約をした時、ふと、「朝10」 のページをのぞいてみた。
すると、8月13日から予定されていた <ミツバチのささやき> が <山猫> と差し替えになっているではないか!
ヴィスコンティ作品の中で未見の大作。劇場にかかるのを待っていました!
あやうく見逃すところだった! <ハングオーバー> 様様!

@TOHOシネマズ六本木

待望の <山猫> なのに、前日明け方近くまでつい本を読んでしまった・・・。
でも大丈夫! (ってなにが!?) リンダも大人になりました。
リンダもやっと、ヴィスコンティ映画を心から楽しむことが出来るようになりました。
寝ている暇なんかないよ、ってかんじ。ヴィスコンティ本で予習もバッチリ!





時代は1860年、ナポリのブルボン王朝の封建的支配を駆逐して、シチリアを統一イタリアの一部としたいガリバルデイ、解放統一運動に揺れるシチリアを舞台に描かれる。
主人公はこの地の領主サリーナ公爵ファブリッツイオ。


ほえ~、シチリアってブルボン王朝に支配されていたのか? 全然知らなかった・・・。

冒頭、パレルモの邸宅で騒ぎが起こる。
ブルボン王朝の兵士が一人庭で死んでいたのだ。
これは今現在起こりつつある、不穏な空気の象徴である。
この兵士の死体がなんとも美しくまたエロチックとも思えるポーズをとっているのだな。
<仮面の告白> の主人公が魅了された 「聖セバンスチャン」 を想起させるような。
うーむ、さすがルキーノ・・・とうなっていると・・・。

ファブリッツイオにはタンクレーディという甥がいた。
聡明で眉目秀麗、ファブリッツイオには七人のこどもがいるのだが、わが子以上に彼を可愛がっていた。

「聡明で眉目秀麗」 もちろん彼こそがアラン・ドロンが演じる役なのだが、その登場の仕方がまた ”ルキーノ” なのだ。

ある朝 (実は前夜に娼婦を買ったのだが) ファブリッツイオが自室で髭をあたっていると、突然鏡の中にその美貌の青年の顔が映し出されるのだ。
鏡を効果的に使った印象に残るシーン。
タンクレーディはガリバルデイの反乱軍に参加することを叔父に告げに来たのだ。

――変わらずに残る為には、変化が必要なのです

タンクレーディ、名セリフを吐く。


この後タンクレーディは帰還し、美しいアンジェリカと知り合い、物語はいよいよ後半、この作品のキモである圧巻の舞踏会のシーンになる。
公爵ドン・ディエゴ邸での舞踏会。
この屋敷の広さがハンパない。
皆がダンスをする広間がいくつかあり、女たちがくつろいでいる室もある。
これだけでも十分ため息なのに、食事が始まると (一応ビュッフェ形式なのだが) 皆が座れるソファセットが無数に置かれた広間の広さよ!

この前にタンクレーディとアンジェリカがファブリッツイオの屋敷でデートするシーンがある。
叔父の屋敷の中にある ”使ったことがない” 数知れぬ部屋を探検して歩く二人。
プチブルだがいわば庶民のアンジェリカは言う。

――すごいわね、この家、一体いくつ部屋があるのかしら?

――部屋がいくつあるかわかっている邸なら住む価値がないさ

事もなげに返すタンクレーディの言葉に、しばし口が開いてしまった。

leopard02.jpg 探検仲



早い話、この作品もヴィスコンティ一連の、「貴族の落日」 を描いたものである。
専制君主として君臨した大人物ファブリッツイオも老いを迎え新しい時代がやって来る。
「自分は新旧二つの時代を知っている」 とファブリッツイオは言う。
しかし自分の時代は終わったことを思い、新しい時代は次の世代に託すべきだと考えている。

この図式は、<家族の肖像> と同様である。
どちらもバート・ランカスターが演じていただけに、二つの作品がシンクロして見えた。
アラン・ドロンは、ヘルムート・バーガーだ。ヴィスコンティ好みの美しい男たち。
そして、バート・ランカスターにヴィスコンティ自身を重ねて見てしまう。

この作品はヴィスコンティ自身の自伝的要素がある、という見方をヴィスコンティは否定しているが (たしか <家族の肖像> の時も同様のことを言われて否定していた)、なんにせよ、ファブリッツィオがタンクレーディを深く深く愛しているのが伝わるのだった。

アンジェリカに請われて (すべてのゲストを魅了する) ワルツを踊ったファブリッツイオは、疲れを覚え化粧室へ。
ここでカメラは印象的なシーンを映す。
洗面所の中の一室に収められた夥しい数のカメ、ツボ・・・。
そこには招待客たちの排泄物が蓄えられている。

えー、当時はこんな風にしていたんだと単純な好奇心が湧いたが、これは、華やかな舞台には必ず裏側がある、という対比を描いたのだろう。

朝に日は昇るが夕には沈む。生には死がある。
貴族の甥は平民の娘と結婚する。新しい時代。
若く美しいアンジェリカとのワルツは、ファブリッツイオの「ラスト・ダンス」か。
新旧交代の時、またその対比、全てがこの舞踏会に集約されているのだ。

leopard01.jpg

舞踏の間の隣りには、「死」を描いた絵が飾ってある。(→ グールズ 「正しい男の死」
宴が終わり一人歩いて邸に帰るファブリッツイオは、神父とすれ違う。
どこかの家で誰かが亡くなったらしい。
そこへ銃声が。その朝、脱走兵が処刑されたのだった。

ことほどさようにこの作品の最後は死の匂いがする。
歩き去る公爵の後ろ姿が映し出されるエンディング。
その後ろ姿も、彼の 「死」 は遠いことではないと思わせる。
「ひとつの時代が終わった」 という感慨深いエンディングであった。


→ <山猫 その2> へ つづく



山猫 その2PageTopアンナ・カハルナ

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  (2015/8/24) 「怒り」に追記あり。

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