【ゲイの誕生 同性愛者が歩んだ歴史】 匠 雅音え、ゲイの誕生?
♂と♂の愛は、洋の東西を問わず、古代からあったんじゃあないの?
今さら”誕生する”ものなのかしら?
ってことで読んでミタ。
非常に興味深く読みました。
同性愛と呼ばれるものには二つあるという。
ひとつは大昔からあった、男色、少年愛で、これをここでは「ホモ」と呼ぶ。
(「ホモセクシュアル」という言葉は1890年ごろイギリスで生まれた)
これらは「年齢差を伴う対等ではない関係」
つまり成人男性と青少年との同性愛である。
もうひとつの方が「ゲイ」と呼ばれるものなのだが、それは後述するとして。
私が最初に言った、洋の東西を問わず古代からあった同性愛がつまり「ホモ」なのであります。
ローマ帝国のハドリアヌス帝とアンティノウス、織田信長と森蘭丸・利家(犬千代)の関係は皆が知るところであり、古代ギリシャ、プラトンは【饗宴】の中で少年愛を語り、井原西鶴【好色一代男】では、主人公の世之介は725人の若い男性を相手にした。
この時代の「ホモ」とはどういった関係だったのか?
というのがこの本を読んでよくわかった。
前近代の年齢秩序社会においては、年長者の存在は絶対で、年少者は”一定期間”年長者と関係を持つことで文化の継承が行われて来たということ。
それは技術の習得であったり、経済的恩恵、出世の足掛かりにした者もおり、両者にとってある種必要な関係であった。
両者の関係は、年長者が常に「攻」であり、その逆はない。
若者が成人男性になれば、今度は挿入される方から挿入する側へと替わるのが当時の常識だったという。
その逆はきわめて非常識なことであり、あってはならないことだった。
(ここで、「この時代、ボーイズラブでいうところの『年下攻』はあり得ない」という文章を引いているのには笑ってしまった)
成人男性にとってのセックスは、相手が女性であろうと若年男性であろうと同じメンタリティであり、相手の性別が違うだけ。
だからホモたちは女性と若年男性の間を何のわだかまりもなく行ったり来たり出来た。
なるほど。たしかに古代ギリシャの哲人たちも戦国武将も妻がいて子を生した。
それは現代の「性的指向」と全く違うものなんだな。
当時の世間もそれを当たり前のこととしていた。
武田信玄が男の愛人に自分の浮気の弁解を書いた手紙が後世に残されているけれど、それも当時の人にしたら特に恥ずべき行為ではなかったんだろう。
じゃなければ親族や関係者が隠したり処分したりしたと思うけど。
古代ギリシャや江戸時代は、家父長制という男性支配にあり、「ホモ」と両立していた。
やがて近代社会になり、年長者の存在は”絶対”ではなくなった。
ここに「ゲイ」と呼ばれる新たな同性愛が生まれる。
「年齢差を伴わない対等な関係」
成人男性同士の同性愛である。
なぜ「男色=ホモが許されて、ゲイが許されないのか?」
ゲイは年齢秩序を崩壊させ、横並びの自由を叫ぶ。
ゲイの登場は古い社会に生きる人々を脅かす存在だからと著者は言う。
この他取り上げるテーマがいちいちおもしろい。
「宦官」や「カストラート」など。
カストラートってのは、タマを取るだけなんだね。
宦官は切断部分の処置が悪く3割は死ぬという命がけの職業だった。こわっ!
「ゲイは浮気者か?」
「ゲイと軍隊」
などもおもしろかった。
2013年出版なので、世界の同性婚事情やゲイの子育てについても情報が新しい。
各国のソドミー法についても興味深かった。
最終章は、『開かれた世界へ――』 「日本のゲイはなぜ見えないのか」
と、日本の現状について語る。
年齢秩序が社会規範としてしぶとく広範に残っている日本の状況では、ゲイがカミングアウトするには厳しい環境、と一定の理解を示しながら、差別をなくす為にもカミングアウトして、ゲイのスタイルはストレートの人となんら変わりはないと世の中に知らせようと言う。
ゲイもストレートも年齢秩序や性別役割分業から解放され、平等で豊かな自由を獲得して欲しいと心から望んで本書は閉じられている。